「ねぇカイル。ここはとても古い庭よ。どうして知ってるの」

「俺は普段は、空を飛んでいるカラスだからな」

「え! カイルって、元々はカラスなの?」

「人間だ! グレグの魔法で、こうなっているだけだ」

 彼はちょっぴり恥ずかしそうに、パタパタと足をならす。
本物のカラスに、表情があるかどうかは分からない。
だけど、今目の前にいる真っ黒い大きな鳥には、豊かな感情があるように思えた。

「噴水も壊れて動かないから、もうすぐこの庭園ごと取り壊して新しくする予定よ」

「……。そうか。なら最後に、お前と見られてよかった」

 霧雨の続く薄曇りの中で、彼は荒れ果てた庭を眺める。
くちばしで何もない噴水の縁をコンと突ついた。

「カイルは、ヘザーさまを知ってるの?」

「いや。ただ遠くから、見ていただけだ。彼女はこの庭のこの場所が好きだった。カラスの俺は、そこの木に止まって、彼女がここに座っているのをずっと見ていた」

 温かい日の光にあふれた、かつての美しいこの庭園を思い浮かべる。
波打つよう黄金に輝く長い髪をした妃が、一人あふれる噴水の前にたたずんで誰かが来るのを待っている。
彼女が会いたいと願っているのは、夫である優しい王さま? 
それとも、自分を誘惑してくる腹心のグレグ? 
そんなヘザーさまを見ながら、カイルは何を思っていたのだろう。

「話はしなかったの?」

「してないな。最期に彼女をみたのは、ユースタス王の即位50年を記念するパレードだった。それ以降、夫妻は息子に王位を譲って、ヘザーは病気の王の看護に努めたが、結局彼は先に逝ってしまった。ユースタスの後を追うようにして、すぐ彼女もこの世を去った」

 私は、もちろんグレグの姿を直接見たことはない。
けれども、ユースタス王とその王妃ヘザーさまの肖像画なら見たことがある。
ひ孫である私は、顔の作りだけではなく髪と目の色まで、ユースタス王にそっくりだった。

「ヘザーさまに思い切って、何にも知らないフリして、声をかけてみればよかったのに」
「グレグとは喧嘩してたんだぞ? どうして弟子の俺が話しかけられる。もう終わった事なのに、わざわざ俺なんかが顔を出すべきじゃないだろう」

 カラスのままのつぶらな丸い眼は今この瞬間であっても、間違いなく遠い過去にここであった風景を見ている。

「カイルは、ヘザーさまに会いたくてここへ?」

「フッ。少しでもお前に、彼女の面影があったらよかったのにな」

「なにそれ、酷い!」

 私が声を荒げると、彼は翼を広げ大笑いしながら飛び跳ねた。

「あはは。ヘザーはお前より、もう少しおしとやかな淑女だったぞ。少なくとも、カラスを騙して捕まえようなんてことは、考えるタイプじゃなかったな」

「だって! 怪しげなカラスが夜中に入り込んできたのよ? 警戒するのは当たり前じゃない」

「はは。それでも、お前が今の王族に大切にされていることは分かった。それを見られただけで、もう十分満足している」

 そう言ったカラスは、きっとニヤリと笑みを浮かべたのだと思う。

「グレグからの伝言だ。身代金を用意しろ。金額は5,000億ヴェール」

「5,000億ヴェール? うちの国家予算1年分じゃない!」

「お前の身代金なんだ。妥当な金額だろ」

「そんなの、応じられるわけがないわ!」

「知らん。俺はグレグからの伝言を、そのまま伝えただけだ」

「どうしてそうなるのよ!」

「それが嫌なら、自分たちで条件を考えろ。このままグレグに任せておくと、お前の呪いを解くための値段が、5,000億ヴェールになるぞ」

 遠くから、パシャパシャと水の跳ね上がる音が聞こえた。
外套と麻布を抱えた侍女たちが駆け寄ってくる。

「ウィンフレッドさま! このようなところにいらしては、お体を冷やしてしまいます!」

 彼女たちの後ろには、複数の兵士たちの姿も見えた。
カラスのカイルは黒い翼を大きく広げる。

「じゃあな、ウィンフレッド。ここの魔法師長が戻ってきたら、そいつらとよく相談するんだな」

 侍女たちが東屋に飛び込んで来た。
カイルは彼らと入れ替わるように、霧雨の中へ飛び去る。

「まぁ。なんて大きなカラスなのでしょう。ウィンフレッドさま。イタズラはされませんでしたか?」

 兵士たちは東屋の守りを固め、侍女はカイルの焚いてくれた火のおかげでほとんど乾いている赤い琥珀色の髪を拭いた。

「いいえ、大丈夫よ。それより、ドットはいつ戻ってくるのでしたっけ」

「ドットさまは、まだ数日はお戻りになりません。何か伝言があるなら、伝令を出しましょうか?」

「いや、いいわ。それまでに、私も少し考えたいことが出来たから」

 侍女たちに連れられ、すっかり古びて荒れ果てた庭を後にする。
空にはまだ、分厚い雲が広がっていた。

「ねぇ。少しだけ、私の部屋に寄ってもいいかしら」
OSZAR »