次の日からの俺は、吉良先輩のことが好きだと自覚すると、どう接して良いかわからなくなって、先輩を避けてしまっている。
会いたいけど、会うと、今以上に好きだと自覚しそうで怖い。
それに、もしかすると時間が経つと感情も元に戻るかもしれないと思って、先輩からの連絡は返していたけど、一緒に帰るのも、勉強会も何かと理由をつけて断った。
次の日も、その次の日も、先輩は校内で会うと、千秋ちゃんと呼んでくれたけど、どうしたら良いかわからなくて、何度もその場から逃げてしまった。
罪悪感はあったけれど、先輩に直接『これ以上好きになりたくない』なんて言えないから、早く自分の気持ちが収まってほしいと思っていた。
吉良先輩を避けて1週間くらい経った。
夕方から雨という予報通り、放課後になると雨がポツポツと降り始めていた。
本降りになる前に学校を出ようと思って、下駄箱に行くと腕を組んだ吉良先輩が立っていた。
「千秋ちゃん。お疲れさま。僕、傘ないねんけど相合傘してくれへん?」
「いい、ですけど……俺、折りたたみ傘しかなくて」
「大丈夫、大丈夫。ありがとうなぁ。傘は僕が持つわ」
口元だけ笑っている先輩が、俺から傘を受け取った。
「ほな、帰ろか」
ポツポツと弱い雨の中、先輩と相合傘をして駅に向かって歩く。
たった1週間一緒にいなかっただけなのに、隣にいる吉良先輩がとても懐かしく感じる。
それと同時に避けていた罪悪感も湧いてくる。
「なぁ、千秋ちゃん」
何を言われるか見当がつくから、名前を呼ばれると胸がズキっとした。
「千秋ちゃん、僕のこと避けてる?」
やはり予想通りだった。
「……いえ、そんなことはない、と思います」
「そっか。僕の勘違いか」
吉良先輩の返事を聞くと、心が罪悪感で溢れかえりそうになる。
しばらく互いに喋らず歩いているうちに、ポツポツと降っていた雨は徐々に強くなり、足元がぐっちょりと濡れるくらいに降ってきていた。
「先輩……あの。傘、もうちょっと入った方が……」
大きくもない傘に男ふたりで入っているから、吉良先輩の身体の半分は制服の色が変わるくらい濡れている。
「ん?ええよ。千秋ちゃん濡れてまうやん」
先輩が口角をスッと上げ、笑顔のような表情を作って返事をした。
先輩は相変わらず、避けられてる理由も問い詰めずに歩き、俺が濡れないように鞄も制服も濡らしている。
俺は、先輩にこんな貼り付けたような笑顔をさせていることが耐えられなくなった。
「あのっ。俺の家で雨宿りしますか」
「……え?」
吉良先輩が俺の提案に、テンポの悪いリアクションを取った。
自分でもこの状況で無茶苦茶な提案をしたと思う。
「ええの?僕、行っても」
「はい」
「急に行ったら、お母さんとかお父さんとか迷惑になるで」
「だ、大丈夫です!……父も母も、夜まで仕事で帰ってこないと思うので。それに、このままじゃ先輩風邪ひいちゃうし、季節の変わり目だから気をつけないとだし……」
必死に先輩を自宅に招く正当な理由を捻り出す。
「ははっ、ありがとうなぁ。じゃあ、お邪魔させてもらうわな」
「はいっ」
俺はそう言って、吉良先輩を自宅に招くことにした。
家に帰るとすぐに、2階の自分の部屋に先輩を案内して、タオルと着替えを渡した。
「先輩、その服で大丈夫ですか」
自分の中で1番大きいサイズのジャージを渡したけど、吉良先輩には小さそうだった。
「ほんま急に来てごめんなぁ。そのうちしたら帰るし。あっ、それまでちょっと勉強見てあげよか?」
床に座った吉良先輩がいつもみたいに飄々とした態度で話しかけてくる。
「……あの、えっと。先輩のこと、避けてすみませんでした」
俺は先輩の隣にぺたりと座って、謝った。
「本当は先輩のこと、好きだって思うとどうしたら良いかわからなくて……避けてました」
「え?好きで……避けてたん?」
吉良先輩が目を大きく開いて驚いた。
「……好き、というか、今以上に好きだって自覚したくないというか」
正直に打ち明けると、先輩に対する罪悪感は薄れてきたが、反対に羞恥心が湧いてきた。
「ほんまに?めっちゃ嬉しい。嫌われたかと思って、すっごい悩んでてんけど」
先輩の嬉しそうに笑う顔を見ると、恥ずかしさで逃げ出したくなる。
「じゃあ、両思いやん。これで付き合えるなぁ」
吉良先輩が俺の肩にポンっと手を置いて、軽く言ってきた。
先輩の言葉に対して、俺は首を数回横に振った。
「え?なんでなん?僕ら両思いやんなぁ」
うん、と首を縦に振る。
「でも、付き合うのは……」
上手くこの場を凌げないかと考えれば考えるほど、思考がまとまらない。
「あかんの?なんで?なんで好きやのに付き合うのは無理なん?」
先輩が「ははっ」と笑って、俺をジッと見つめる。
吉良先輩の真っ黒な瞳に見つめられると、目が逸せなくなる。
「えっと。それ……は。男同士で恋愛するって、なんか変な気がして。周りからも普通じゃないって思われるだろうし、母も……悲しむかもしれないし」
吉良先輩が好きでたまらないのに、自分の中の普通の良い子でいたいという気持ちが邪魔をする。
「ええやん。別に周りなんか。気になるならこっそり付き合うとか、適当な嘘ついとくとかしたらええんちゃうん」
「でもっ、吉良先輩とはこっそり付き合う関係でいたくないです。……すみません。支離滅裂で」
自分の中にある理由を丁寧に言ったつもりだった。
「あぁー。もう。なんでなん?ここまでの手順、僕どっか間違えてたぁ?」
吉良先輩の中の何かが爆発したかのように、先輩が喋り始めた。
「僕、ちょっとずつ、千秋ちゃんの警戒といて、信頼してもらえるように行動して。やっと徐々に恋愛対象として好きになってもらえたかなって思ったのに何で?なんで好きやのに付き合われへんの?どこが間違ってたん」
両膝を立て、項垂れるようにして両手で頭を抱え込んだ。
「せ、先輩は何で、そんなに付き合うことに執着するんですか……」
恐る恐る尋ねてみる。
「そら好きなんやから、付き合いたいやろ。付き合って、僕だけのもんにして、誰にも取られたくないねん。付き合ってるって言葉で縛り付けてたいねん」
「縛り付けるって、そんな……」
吉良先輩は、余裕がなさそうに「あーあ。言うてもうた」と言って、さらに項垂れている。
「はぁ。あんな、今更やからもう白状するわ。僕、今までずっと我慢してるけどな、今すぐにでも千秋ちゃんのこと骨折れるくらい抱きしめて、息できへんくらいキスして、ぐっちゃぐちゃにしたいねんで。……もう…………なんかわからへんけど、好きやねん。もう好きすぎて、いつもの自分じゃなくなってまうねん……」
どこか諦めたように話す先輩を見て、初めて先輩の内面に触れた気がした。
こんなに感情を表に出す先輩は見たことがなかった。
「なんで千秋ちゃんはいつもそうなん。可愛いて言われへんように俺って言うて、学力下がらへんように必死で勉強して……お母さんとか周りを気にして僕とは付き合わへん。どれかひとつくらい、良い子なんかやめて無茶苦茶してもええんちゃうん?」
俯いた先輩が声をボソボソと喋る。
「…………ごめん。みっともない姿見せすぎた」
「いえ、そんなことは」
「でも、僕、千秋ちゃんの側にいたらどんどん頭おかしなってくるねん。この感情を永遠に抑えたまま、ええ先輩を演じられへん。ごめんな、極端な人間で」
顔を上げた先輩が俺の頭を撫でる。
「……もし付き合わなかったら友達、辞めちゃうんですか」
俺は吉良先輩に頭を撫でられたまま、質問をする。
「どやろな。できるだけ千秋ちゃんの望み聞いてあげたいけど。……あかん。僕、今は冷静に考えられへんわ。……もう今日は帰るわ……服はまた返すわ、ありがとうな」
立ち上がった吉良先輩は、俺に背を向けて鞄を持って、部屋を出ようとする。
このまま吉良先輩を帰らせると、もう一生勉強会をすることも、遊ぶことも、連絡を取ることもできない気がした。
「きっ、吉良先輩っ!」
ここで帰らせてはダメだ、そう思っていると、俺は部屋を出ようとする吉良先輩に後ろから抱きついていた。
「お、お、俺、吉良先輩のことが好きです」
「もう、そんな励ましてくれんでええで」
「本当です。……ずっと、吉良先輩への好きは憧れとか尊敬の好きだと思ってました。でもそれは違ってて。……俺も……先輩のことを考えてたら頭がおかしくなります。先輩を学校で見かけると、電車の時みたいにギュッてしてほしい……とか思ってしまいます」
先輩の背中越しに、今の自分の気持ちをありのまま話す。
「でも、みんなと違うことをするのは怖いです。どこか間違ってるようで不安になります。でも……それ以上に先輩と離れる方が怖い……です。一緒にいたいです」
ゆっくりと素直に自分の気持ちを伝える。
「僕、そんなこと言われたら、あほやから本気にしてまうで」
「良いです。本気にしてください」
先輩が振り返って、真正面から優しく抱きしめてくれた。
やっぱり、吉良先輩に抱きしめられると、満員電車の中で感じた安心感と高揚感の両方がする。
「……僕な、初めて千秋ちゃんと一緒に帰った日に運命感じてん」
「運命……ですか?」
「そう。知ってると思うけど、僕、これまでいろんな人と付き合ったことあるねん。でも、毎回なんかちゃうなぁって思ってた。ドキドキだけが求められる感じがしてな」
「ドキドキだけ?」
「そう。手を繋ぐ、抱きしめる、キスをする……わかりやすいやんなぁ。けど、好きってそんなんで測るんじゃなくて、もっと心の奥から繋がってるような関係ちゃうんかなって思って。……そう思ってたら毎回『好きじゃないんでしょ』って喧嘩になって別れる。まぁ結局、僕が好きなんじゃなくて、ドキドキさせてくれる人が好きなんやろなって」
俺の頭の上で喋る先輩が寂しそうだなと思って、俺は抱きしめる力をさっきより強くした。
「あははっ、いたい。でも、ありがとーなぁ。まぁ、だから、千秋ちゃんが最初に俺に言うた『ほんまに好きって何か』っていう問いに対する答え聞いて、この子は絶対離したらあかんって思った」
そう言われても大したことを言った記憶がなかったから、言った内容にピンと来ない。
「ははっ。何言うたか覚えてないやろ?でも僕な、あのとき初めて学年主席で良かったって思ってん。ほんまに僕、千秋ちゃんのこと好きになって良かったわぁ」
本音を話す先輩の声は優しくて、今まで会ってきたどの日よりも近い存在に感じた。
「俺、先輩に教わりたいこと、まだまだいっぱいあります」
先輩を見上げて俺は話しかける。
「なんぼでも教えたるよ」
「その……考え方……とか」
「考え方?」
「はい。先輩のその周りを気にしないメンタル、教わりたいです」
いつもいつも、周りの目を気にして、良い子であろうとする自分の殻を破ってみたい。
「いや、僕、むしろ気にしまくってるねんけど?」
「してないです……」
「え?もう一回言ってみて」
「先輩は周りの目なんて気にしてないです。だから、噂話も気にしてないし、興味も持ってない気がします」
そう言った瞬間、先輩が突然くすぐってきた。
「あはははは、やめてっ、くすぐったい。あはっ、ははは」
「今、悪かったんはどっち?」
「お、俺っ。俺です。あははははっ」
そう言って逃げ出そうとするのに、俺を捕まえてくすぐる吉良先輩から逃げられそうにない。
「ごめんなさいは?」
「ごめっ、なさい。あはははは」
「じゃあ、僕と千秋ちゃんは恋人?」
「こいびと、こいびとっ」
俺の返事を聞いた先輩は、パッと手を離した。
俺は勢いよく床に倒れ込み、ハァハァと笑いすぎて上がった息を整える。
「千秋ちゃん」
俺の目の前にしゃがんだ先輩に呼ばれて、先輩を見る。
「ほんまかわええなぁ」
吉良先輩の大きな手が俺の頭をぐしゃぐしゃと撫でる。
「……俺、先輩に頭撫でられるの好きです」
先輩の大きな手で頭を撫でられると褒められているような気がして嬉しくなる。
「なぁ、千秋ちゃん。ほんまに僕と付き合わへん?」
先輩が静かに、柔らかな声で尋ねてきた。
「ドキドキしたいとか、縛り付けたいって意味じゃなくてな。大切な存在として、一緒にこれからもいろんな経験したいなぁって思って」
照れているのか、先輩が珍しく締まりのない顔をしている。
「ふっ。ふふっ。良いですよ。それって、学年主席に勉強もみてもらえる権利もついてますか?」
そう言うと、先輩も「ははっ」と笑った。
「そやなぁ。千秋ちゃんを学年主席にし続けたらなあかんから、勉強もみるし、頭もいくらでも撫でたるで」
「じゃあ、その提案乗ろうかな」
きっと、これからもこのままで良いのだろうかとか、俺たちの関係は普通じゃないからって悩む日があると思う。
だけど、吉良先輩となら肩の力を抜いて、ゆっくり向き合っていける気がする。
ふと部屋の鏡に映った自分を見ると、小さい頃に見た恋人に向かって微笑む兄とそっくりな笑顔になっていた。
(おわり)
会いたいけど、会うと、今以上に好きだと自覚しそうで怖い。
それに、もしかすると時間が経つと感情も元に戻るかもしれないと思って、先輩からの連絡は返していたけど、一緒に帰るのも、勉強会も何かと理由をつけて断った。
次の日も、その次の日も、先輩は校内で会うと、千秋ちゃんと呼んでくれたけど、どうしたら良いかわからなくて、何度もその場から逃げてしまった。
罪悪感はあったけれど、先輩に直接『これ以上好きになりたくない』なんて言えないから、早く自分の気持ちが収まってほしいと思っていた。
吉良先輩を避けて1週間くらい経った。
夕方から雨という予報通り、放課後になると雨がポツポツと降り始めていた。
本降りになる前に学校を出ようと思って、下駄箱に行くと腕を組んだ吉良先輩が立っていた。
「千秋ちゃん。お疲れさま。僕、傘ないねんけど相合傘してくれへん?」
「いい、ですけど……俺、折りたたみ傘しかなくて」
「大丈夫、大丈夫。ありがとうなぁ。傘は僕が持つわ」
口元だけ笑っている先輩が、俺から傘を受け取った。
「ほな、帰ろか」
ポツポツと弱い雨の中、先輩と相合傘をして駅に向かって歩く。
たった1週間一緒にいなかっただけなのに、隣にいる吉良先輩がとても懐かしく感じる。
それと同時に避けていた罪悪感も湧いてくる。
「なぁ、千秋ちゃん」
何を言われるか見当がつくから、名前を呼ばれると胸がズキっとした。
「千秋ちゃん、僕のこと避けてる?」
やはり予想通りだった。
「……いえ、そんなことはない、と思います」
「そっか。僕の勘違いか」
吉良先輩の返事を聞くと、心が罪悪感で溢れかえりそうになる。
しばらく互いに喋らず歩いているうちに、ポツポツと降っていた雨は徐々に強くなり、足元がぐっちょりと濡れるくらいに降ってきていた。
「先輩……あの。傘、もうちょっと入った方が……」
大きくもない傘に男ふたりで入っているから、吉良先輩の身体の半分は制服の色が変わるくらい濡れている。
「ん?ええよ。千秋ちゃん濡れてまうやん」
先輩が口角をスッと上げ、笑顔のような表情を作って返事をした。
先輩は相変わらず、避けられてる理由も問い詰めずに歩き、俺が濡れないように鞄も制服も濡らしている。
俺は、先輩にこんな貼り付けたような笑顔をさせていることが耐えられなくなった。
「あのっ。俺の家で雨宿りしますか」
「……え?」
吉良先輩が俺の提案に、テンポの悪いリアクションを取った。
自分でもこの状況で無茶苦茶な提案をしたと思う。
「ええの?僕、行っても」
「はい」
「急に行ったら、お母さんとかお父さんとか迷惑になるで」
「だ、大丈夫です!……父も母も、夜まで仕事で帰ってこないと思うので。それに、このままじゃ先輩風邪ひいちゃうし、季節の変わり目だから気をつけないとだし……」
必死に先輩を自宅に招く正当な理由を捻り出す。
「ははっ、ありがとうなぁ。じゃあ、お邪魔させてもらうわな」
「はいっ」
俺はそう言って、吉良先輩を自宅に招くことにした。
家に帰るとすぐに、2階の自分の部屋に先輩を案内して、タオルと着替えを渡した。
「先輩、その服で大丈夫ですか」
自分の中で1番大きいサイズのジャージを渡したけど、吉良先輩には小さそうだった。
「ほんま急に来てごめんなぁ。そのうちしたら帰るし。あっ、それまでちょっと勉強見てあげよか?」
床に座った吉良先輩がいつもみたいに飄々とした態度で話しかけてくる。
「……あの、えっと。先輩のこと、避けてすみませんでした」
俺は先輩の隣にぺたりと座って、謝った。
「本当は先輩のこと、好きだって思うとどうしたら良いかわからなくて……避けてました」
「え?好きで……避けてたん?」
吉良先輩が目を大きく開いて驚いた。
「……好き、というか、今以上に好きだって自覚したくないというか」
正直に打ち明けると、先輩に対する罪悪感は薄れてきたが、反対に羞恥心が湧いてきた。
「ほんまに?めっちゃ嬉しい。嫌われたかと思って、すっごい悩んでてんけど」
先輩の嬉しそうに笑う顔を見ると、恥ずかしさで逃げ出したくなる。
「じゃあ、両思いやん。これで付き合えるなぁ」
吉良先輩が俺の肩にポンっと手を置いて、軽く言ってきた。
先輩の言葉に対して、俺は首を数回横に振った。
「え?なんでなん?僕ら両思いやんなぁ」
うん、と首を縦に振る。
「でも、付き合うのは……」
上手くこの場を凌げないかと考えれば考えるほど、思考がまとまらない。
「あかんの?なんで?なんで好きやのに付き合うのは無理なん?」
先輩が「ははっ」と笑って、俺をジッと見つめる。
吉良先輩の真っ黒な瞳に見つめられると、目が逸せなくなる。
「えっと。それ……は。男同士で恋愛するって、なんか変な気がして。周りからも普通じゃないって思われるだろうし、母も……悲しむかもしれないし」
吉良先輩が好きでたまらないのに、自分の中の普通の良い子でいたいという気持ちが邪魔をする。
「ええやん。別に周りなんか。気になるならこっそり付き合うとか、適当な嘘ついとくとかしたらええんちゃうん」
「でもっ、吉良先輩とはこっそり付き合う関係でいたくないです。……すみません。支離滅裂で」
自分の中にある理由を丁寧に言ったつもりだった。
「あぁー。もう。なんでなん?ここまでの手順、僕どっか間違えてたぁ?」
吉良先輩の中の何かが爆発したかのように、先輩が喋り始めた。
「僕、ちょっとずつ、千秋ちゃんの警戒といて、信頼してもらえるように行動して。やっと徐々に恋愛対象として好きになってもらえたかなって思ったのに何で?なんで好きやのに付き合われへんの?どこが間違ってたん」
両膝を立て、項垂れるようにして両手で頭を抱え込んだ。
「せ、先輩は何で、そんなに付き合うことに執着するんですか……」
恐る恐る尋ねてみる。
「そら好きなんやから、付き合いたいやろ。付き合って、僕だけのもんにして、誰にも取られたくないねん。付き合ってるって言葉で縛り付けてたいねん」
「縛り付けるって、そんな……」
吉良先輩は、余裕がなさそうに「あーあ。言うてもうた」と言って、さらに項垂れている。
「はぁ。あんな、今更やからもう白状するわ。僕、今までずっと我慢してるけどな、今すぐにでも千秋ちゃんのこと骨折れるくらい抱きしめて、息できへんくらいキスして、ぐっちゃぐちゃにしたいねんで。……もう…………なんかわからへんけど、好きやねん。もう好きすぎて、いつもの自分じゃなくなってまうねん……」
どこか諦めたように話す先輩を見て、初めて先輩の内面に触れた気がした。
こんなに感情を表に出す先輩は見たことがなかった。
「なんで千秋ちゃんはいつもそうなん。可愛いて言われへんように俺って言うて、学力下がらへんように必死で勉強して……お母さんとか周りを気にして僕とは付き合わへん。どれかひとつくらい、良い子なんかやめて無茶苦茶してもええんちゃうん?」
俯いた先輩が声をボソボソと喋る。
「…………ごめん。みっともない姿見せすぎた」
「いえ、そんなことは」
「でも、僕、千秋ちゃんの側にいたらどんどん頭おかしなってくるねん。この感情を永遠に抑えたまま、ええ先輩を演じられへん。ごめんな、極端な人間で」
顔を上げた先輩が俺の頭を撫でる。
「……もし付き合わなかったら友達、辞めちゃうんですか」
俺は吉良先輩に頭を撫でられたまま、質問をする。
「どやろな。できるだけ千秋ちゃんの望み聞いてあげたいけど。……あかん。僕、今は冷静に考えられへんわ。……もう今日は帰るわ……服はまた返すわ、ありがとうな」
立ち上がった吉良先輩は、俺に背を向けて鞄を持って、部屋を出ようとする。
このまま吉良先輩を帰らせると、もう一生勉強会をすることも、遊ぶことも、連絡を取ることもできない気がした。
「きっ、吉良先輩っ!」
ここで帰らせてはダメだ、そう思っていると、俺は部屋を出ようとする吉良先輩に後ろから抱きついていた。
「お、お、俺、吉良先輩のことが好きです」
「もう、そんな励ましてくれんでええで」
「本当です。……ずっと、吉良先輩への好きは憧れとか尊敬の好きだと思ってました。でもそれは違ってて。……俺も……先輩のことを考えてたら頭がおかしくなります。先輩を学校で見かけると、電車の時みたいにギュッてしてほしい……とか思ってしまいます」
先輩の背中越しに、今の自分の気持ちをありのまま話す。
「でも、みんなと違うことをするのは怖いです。どこか間違ってるようで不安になります。でも……それ以上に先輩と離れる方が怖い……です。一緒にいたいです」
ゆっくりと素直に自分の気持ちを伝える。
「僕、そんなこと言われたら、あほやから本気にしてまうで」
「良いです。本気にしてください」
先輩が振り返って、真正面から優しく抱きしめてくれた。
やっぱり、吉良先輩に抱きしめられると、満員電車の中で感じた安心感と高揚感の両方がする。
「……僕な、初めて千秋ちゃんと一緒に帰った日に運命感じてん」
「運命……ですか?」
「そう。知ってると思うけど、僕、これまでいろんな人と付き合ったことあるねん。でも、毎回なんかちゃうなぁって思ってた。ドキドキだけが求められる感じがしてな」
「ドキドキだけ?」
「そう。手を繋ぐ、抱きしめる、キスをする……わかりやすいやんなぁ。けど、好きってそんなんで測るんじゃなくて、もっと心の奥から繋がってるような関係ちゃうんかなって思って。……そう思ってたら毎回『好きじゃないんでしょ』って喧嘩になって別れる。まぁ結局、僕が好きなんじゃなくて、ドキドキさせてくれる人が好きなんやろなって」
俺の頭の上で喋る先輩が寂しそうだなと思って、俺は抱きしめる力をさっきより強くした。
「あははっ、いたい。でも、ありがとーなぁ。まぁ、だから、千秋ちゃんが最初に俺に言うた『ほんまに好きって何か』っていう問いに対する答え聞いて、この子は絶対離したらあかんって思った」
そう言われても大したことを言った記憶がなかったから、言った内容にピンと来ない。
「ははっ。何言うたか覚えてないやろ?でも僕な、あのとき初めて学年主席で良かったって思ってん。ほんまに僕、千秋ちゃんのこと好きになって良かったわぁ」
本音を話す先輩の声は優しくて、今まで会ってきたどの日よりも近い存在に感じた。
「俺、先輩に教わりたいこと、まだまだいっぱいあります」
先輩を見上げて俺は話しかける。
「なんぼでも教えたるよ」
「その……考え方……とか」
「考え方?」
「はい。先輩のその周りを気にしないメンタル、教わりたいです」
いつもいつも、周りの目を気にして、良い子であろうとする自分の殻を破ってみたい。
「いや、僕、むしろ気にしまくってるねんけど?」
「してないです……」
「え?もう一回言ってみて」
「先輩は周りの目なんて気にしてないです。だから、噂話も気にしてないし、興味も持ってない気がします」
そう言った瞬間、先輩が突然くすぐってきた。
「あはははは、やめてっ、くすぐったい。あはっ、ははは」
「今、悪かったんはどっち?」
「お、俺っ。俺です。あははははっ」
そう言って逃げ出そうとするのに、俺を捕まえてくすぐる吉良先輩から逃げられそうにない。
「ごめんなさいは?」
「ごめっ、なさい。あはははは」
「じゃあ、僕と千秋ちゃんは恋人?」
「こいびと、こいびとっ」
俺の返事を聞いた先輩は、パッと手を離した。
俺は勢いよく床に倒れ込み、ハァハァと笑いすぎて上がった息を整える。
「千秋ちゃん」
俺の目の前にしゃがんだ先輩に呼ばれて、先輩を見る。
「ほんまかわええなぁ」
吉良先輩の大きな手が俺の頭をぐしゃぐしゃと撫でる。
「……俺、先輩に頭撫でられるの好きです」
先輩の大きな手で頭を撫でられると褒められているような気がして嬉しくなる。
「なぁ、千秋ちゃん。ほんまに僕と付き合わへん?」
先輩が静かに、柔らかな声で尋ねてきた。
「ドキドキしたいとか、縛り付けたいって意味じゃなくてな。大切な存在として、一緒にこれからもいろんな経験したいなぁって思って」
照れているのか、先輩が珍しく締まりのない顔をしている。
「ふっ。ふふっ。良いですよ。それって、学年主席に勉強もみてもらえる権利もついてますか?」
そう言うと、先輩も「ははっ」と笑った。
「そやなぁ。千秋ちゃんを学年主席にし続けたらなあかんから、勉強もみるし、頭もいくらでも撫でたるで」
「じゃあ、その提案乗ろうかな」
きっと、これからもこのままで良いのだろうかとか、俺たちの関係は普通じゃないからって悩む日があると思う。
だけど、吉良先輩となら肩の力を抜いて、ゆっくり向き合っていける気がする。
ふと部屋の鏡に映った自分を見ると、小さい頃に見た恋人に向かって微笑む兄とそっくりな笑顔になっていた。
(おわり)