僕に残された日数は、残り十九日。
 まだ、十九日もある。あと、十九日しかない。どう判断するべきか、僕にはわからない。
 時刻は午前七時半。僕はベッドから起き上がり、壁をすり抜けて階段を下り、外へ出る。
 眩しい太陽の光を浴びて、大きく伸びをした。そこでふと気がついた。僕の足もとからは、影が伸びていなかった。僕は太陽にまで存在を無視されるんだな、と落胆してから犬小屋に目を向ける。コロ吉は丸まって眠っていた。
 僕はこの日も学校へ向かった。もちろん、鈴森さんに会うためだ。僕一人で考えても答えは出ない。彼女の力がどうしても必要なのだ。
 学校へ着いて教室へ入ると、そこには誰もいなかった。そもそも、学校に着いたときから様子がおかしかった。昇降口に生徒が一人もいないのだ。授業が始まっているのかと思ったが、やはり違うようだった。
 教室に貼ってあるカレンダーを確認すると、今日は土曜日だということに気がついた。ため息をつきながら自分の席に座り、天井を仰いだ。僕は鈴森さんの家の場所を知らない。だから月曜日になるまで彼女に会うことができないのだ。
 これからどうしようか。ここ数日、何十回と心の中で呟いた言葉がここでも出た。どこへ向かうか熟考していると、そこでふと思い出した。
 ──なにかあったら、いつでも呼べ。念じれば、俺に届く。
 エンドーさんは確かにそう言っていた。試しに僕は、念じてみることにした。
 エンドーさん、エンドーさん。来てください。
 目を瞑り手を合わせ、心の中で呼びかけた。これでいいのかな、と思いながらゆっくりと目を開け、教室内を見回す。エンドーさんの姿はなかった。
 念じ方が悪かったのかな、と思ってやり直そうと目を瞑ったそのとき、背後から「おい」と野太い声が聞こえた。
「人をこっくりさんみたいに呼ぶんじゃねぇよ。なんの用だ?」
 気怠げにそう言ってから、彼は机の上にドカッと座った。
「あ、どうも」
 まさか本当に現れるとは思っていなかったので、突然のことに頭が真っ白になる。
「用件を言え」
「えっと、念じたらすぐ来てくれる感じなんですね」
 特に用件もなく呼び出してしまったので、取り繕うように言った。
「お前、まさか用もないのに呼び出したんじゃねぇだろうな」
 案内人というものは、人の心の中も読めるのだろうか。まさか、と笑いながら僕は首を横に振る。
「それよりどうだ。この世への未練は断ち切れそうか?」
「あー、えっと、そのことなんですけど、たぶん、僕には未練なんてないと思います。まだやり残したことがあるなら、普通自殺なんてしないでしょう?」
「いや、お前には未練がある。俺にはわかるんだ」
「わかるなら教えてくださいよ。いくら考えても、さっぱりわかんなくて……」
「それはできないな。お前自身が見つけないとだめなんだ」
 突き放すようにエンドーさんは言った。そんなふうに一蹴されると、もうなにも言い返せない。きっと土下座をしても、逆立ちをしてみても彼は教えてくれないだろう。
「お前、このままだとこの学校の屋上にいるあの女みたいになっちまうぞ」
「あの女って……エンドーさん、知ってるんですか?」
 間違いなく、屋上にいる髪の長い不気味な少女のことだろう。
「知ってるもなにも、あいつは俺が担当したやつなんだ。もう二十五年も前の話だがな」
「に、二十五年? てことは、彼女は二十五年間ずっとあの場所にいるってことですか?」
「そういうことになるな」
 気の遠くなるような話だった。二十五年間あの場所にいるなんて、僕にはきっと耐えられないだろう。
「あいつはな、いじめを苦にあの場所から飛び降りたんだ。でも死ねなかった。意識不明の重体で、二ヶ月後に死んだ。あいつは二ヶ月も時間があったのに、未練を断ち切れずああなったんだ」
 鈴森さんも言っていたように、やはり屋上にいた不気味な少女はいじめを苦に自殺していた。ということはつまり、彼女はいろんな意味で僕の先輩ということになる。彼女のようになるのだけはなんとか避けたい。
「……彼女の未練は、なんだったんですか?」
「あいつは未練というよりも、恨みと悔恨の念が強すぎるんだ。自分をいじめたやつらを恨み、それによって自殺してしまった自分が憎いんだ。後悔先に立たずってやつだ」
 寂しそうに言いながら、エンドーさんは机から降りた。
「後悔……ですか」僕は力なく言った。
「いつの時代も、いじめはなくならないもんなんだな。またなんかあったら、いつでも呼べ」
 エンドーさんは巨体を揺らし、のそのそ歩きながら教室を出ていった。ニット帽のボンボンも小刻みに揺れていて、その後ろ姿はなにかのマスコットキャラクターのようにも見える。
 僕も少なからず後悔はしていた。父さんや母さんがあんなに悲しんでいたのは予想外で、二人に謝りたかった。僕はただ自由になりたかっただけなのだ。まさかこんな大事になるなんて思っていなかった。でも、あのまま生きていても辛いだけだし、僕にはこの選択肢しかなかったのだ。間違ったことはしていないはずだ。たぶん、きっと、僕の判断は正しかったと思う。いや、正しかったと思いたい。
 まだ話したいことがあったので、エンドーさんを追って僕も教室を出た。しかし、廊下に彼の姿はなかった。
OSZAR »